大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成6年(ネ)2179号 判決 1996年1月26日

東京都千代田区内幸町一丁目三番一号

控訴人

東洋製罐株式会社

右代表者代表取締役

三木啓史

右訴訟代理人弁護士

羽柴隆

古城春実

神戸市東灘区住吉南町一丁目一二番三号

被控訴人

大興化成株式会社

右代表者代表取締役

北風隆

右訴訟代理人弁護士

田倉整

右輔佐人弁理士

古川和夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、原判決別紙三及び四に記載のプラスチックブロー成形ボトルを生産し、販売してはならない。被控訴人は控訴人に対し、九九七万二〇〇〇円及びこれに対する平成元年一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金額を支払え。」との判決並びに仮執行宣言を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

原審では、原判決別紙一及び二に記載のプラスチックボトルの生産等禁止も請求されていたが、当審で取下げとなった。

二  控訴人の特許権は次のものである。

発明の名称 耐気体透過性に優れた包装用材料

特許出願日 昭和五一年三月三日

優先権主張 一九七五年(昭和五〇年)三月三日の英国特許出願に基づく優先権を主張

出願公告日 昭和五七年一〇月一六日

特許登録日 昭和六三年三月二四日

特許登録番号 第一四三〇五四〇号

三  被控訴人は、昭和六〇年三月ころから、原判決別紙一ないし五記載のプラスチックボトルを業として生産販売し始め、一、二及び五記載のボトルを除き、現在も生産販売を継続している。以下、被告製品一ないし五というのは、原判決別紙一ないし五に記載のものに対応している。被控訴人は、被告製品が同別紙各2、3の構成を有していることを争っているので、以下に被告製品一ないし五というときには、この構成を捨象して表すものとし、単に被告製品というときには、一ないし五を総称するものとする。

四  以上の事実関係は原判決の示すところであり、被告製品一、二、五の生産販売の継続のおそれがないことは控訴人の自認するところである。

控訴人は、原判決別紙販売明細書記載のとおり生産販売してきたと主張し、なお製造販売を続けている被告製品三、四についてはその生産販売の禁止を求め、被告製品一ないし五の生産販売が本件特許権を侵害するについて過失が存し、原判決一四枚目裏の四3の項以下のとおり損害を被ったものと主張して、損害賠償を請求している。

すなわち、控訴人は、被告製品が、控訴人の特許権に係る発明のうち特許請求の範囲の第一項に記載の発明(本件発明)の技術的範囲に属するものであると主張し、右の請求をしている。

五  これに対し被控訴人は、被告製品が本件発明の技術的範囲に属することを争っているところ、当裁判所も、原判決と同じく、被告製品は本件発明の技術的範囲に属するものとは認められず、控訴人の本訴請求は理由がないものと判断する。その過程は次葉以下のとおりである。なお、次葉以下に示した以外の当事者双方の主張は、原判決の事実欄に示されているとおりである。

次葉以下は横書とし、一体で逆綴じとする。

六  よって、本訴請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野茂 裁判官 竹原俊一 裁判官 塩月秀平)

当裁判所の判断

1 特許請求の範囲

本件発明の特許請求の範囲は次のとおりである。

「(A)ビニルアルコール含有量が50乃至75モル%で残存ビニルエステル含有量がビニルエステル及びビニルアルコールの合計量基準で4モル%以下のエチレンビニルアルコール共重合体、又は

(B)上記エチレンービニルアルコール共重合体と該共重合体当り150重量%までの前記共重合体以外の少なくとも1種の熱可塑性共重合体とのブレンド物

から成る少なくとも1個の層を含有し、前記エチレンービニルアルコール共重合体は、実質的に下記式

Y1=1.64X+68.0

式中、Y1は示差熱分析における主吸熱ピーク温度(℃)を表わし、Xはエチレンービニルアルコール共重合体におけるビニルアルコール含有量(モル%)を表わす、

を満足する主吸熱ピークと、下記式

0.67X+66.7≧Y2≧0.40X+40.0

式中、Y2は示差熱分析における副吸熱ピーク温度(℃)を表わし、Xは前述した意味を有する、

を満足する少なくとも1個の副吸熱ピークとを有し、且つ主吸熱ピーク面積当りの副吸熱ピーク面積の比(Rs)が少なくとも2.5%以上の範囲にあることを特徴とする耐気体透過性の改善された包装用材料。」

2 本件発明の目的

甲2の2(補正明細書)によれば、本件発明の目的(技術的課題)について次のように認められる。

エチレンービニルアルコール共重合体(EVOH)については、従前、例えば米国特許第3,419,654号に記載されているように、溶融押出可能でかつ耐気体透過性に優れた熱可塑性重合体として知られていた。そして、従前はフィルム等の包装材料として使用する際、水蒸気に対する気体透過性が大であり、フィルム等への成形性が悪いという欠点があったのを改善するためのものとして、英国特許第1,190,018号明細書に「エチレンービニルアルコール共重合体中のエチレンの分布を狭くすること、エチレン単独重合体あるいはビニルアルコール単独重合体の共存量を少なくすること」が開示されている。この英国特許明細書の記載は、示差熱分析カーブにおいて吸熱ピークが単一であり、しかも、吸熱ピークの半値巾が特定の温度範囲にあるエチレンービニルアルコール共重合体を包装材料として選択使用することを教示していた。

しかしながら、この英国特許明細書に記載の発明は、重合工程で格別の注意深い配慮を必要とする点で、工業的な見地からはいまだ十分満足し得るものではなかった。

そこで、本件発明では、上記教示とは逆に、エチレンービニルアルコール共重合体中のビニル含有量に関連して示差熱分析カーブにおいて特定の温度範囲に主吸熱ピークと副吸熱ピークとを有するエチレンービニルアルコール共重合体とすることにより、単一の吸熱ピークを示すエチレンービニルアルコール共重合体から成る包装材料に比してより優れた耐気体透過性を示すことを見いだし、その構成を採択したものである。

3 争点

当審での本件の主たる争点は、被告製品が、本件発明の構成要件にある副吸熱ピークを有するものか否かにある。その争点の中で、次の点が問題となった。

(1) 控訴人が測定試験をした対象に被告製品の充填ボトルがあるが、控訴人提出に係る書証の試験結果をもって被告製品が本件発明の技術的範囲に属するものと認定してよいか。

(2) 控訴人がした被告製品の転移温度測定方法は、DSC(示差走査熱量測定)であるが、本件発明の構成要件における測定方法はDTA(示差熱分析)に限定されているか。

(3) 控訴人がした被告製品における副吸熱ピークの測定に際して、試料が十分に乾燥されていたものといえるか。

4 原判決

原判決は、測定対象について次のように判断した。

<1> 原告が測定した試料は充填物を抜き取った後の空ボトルであって、被告製品の現物自体ではない。

<2> 測定すべき試料は、原則として侵害物件自体でなければならない。

<3> 被告製品の現物自体を控訴人が入手することは不可能でない。

<4> 被告製品が被控訴人の手元を離れて流通過程に入り、原告の手元に入るまでにその物理的性質に影響を及ぼすような原因が全く発生する余地がないとはいえない。

5 原判決後に提出された物件等

控訴人は、原判決のこの判断を誤りと主張したのに対し、被控訴人は、控訴人出願に係る特許出願公告公報(昭57-48460。本件発明の特許出願の分割出願。乙35)を提出し、同公報には、トマトケチャップを室温でEVOH(エチレンービニルアルコール共重合体)容器に充填したものは副吸熱ピークを示さないが、加熱したケチャップを充填したものは副吸熱ピークを示すことが記載されているとし、したがって、充填時の熱履歴により製造時の容器の物性が変化する可能性があると述べた。

控訴人はその後、被告製品の現物(空ボトル)を入手し、これについて熱分析試験を行った結果を、甲第35~38、40として提出するに至った。

6 副吸熱ピークの意義

これらの熱分析試験結果には一応副吸熱ピークが認められるので、以下に判断する。

まず、本件補正明細書には、「副吸熱ピークは、エチレンービニルアルコール共重合体中に存在する主としてホモポリエチレン或いはエチレンに富むセグメントから成る重合体鎖の融解に伴なうものと信じられる。」(訂5第36~38行)、「本発明の包装材料においては、この包装材料を構成するエチレンービニルアルコール共重合体中に存在するエチレン単独重合体或いはエチレンに富んだ重合体鎖をむしろ明確な副吸熱ピークを示すように結晶化させることによって、このような副吸熱ピークを示さないエチレンービニルアルコールから成る包装材料に比して、耐気体透過性の一層の改善がもたらされるのである。」(訂7第8~12行)と記載されているが(甲2の2。以下の本件明細書の記載も甲2の2による)、この記載から明らかなように、副吸熱ピークは、本件発明に係る包装用材料を構成するエチレンービニルアルコール共重合体から成る高分子材料自体の物性について見られるものである。このことは、控訴人も認めているところである。

7 副吸熱ピーク測定に関する被控訴人主張

そこで、被告製品についても、それを構成するエチレンービニルアルコール共重合体から成る高分子材料自体についての副吸熱ピークが測定されなければならないが、試料となるエチレンービニルアルコール共重合体自体の副吸熱ピークの測定に際して、本件発明の構成要件における測定方法のDTA(示差熱分析)とは異なるDSC(示差走査熱量測定)も許されるかについて、被控訴人は次のとおり主張する。

7.1 DTAとDSCとの間には次のような差異がある。

<1> 明細書記載のミクロDTAは、JIS・K7121(甲9)で「示差熱分析(DTA)」と規定されているものであり、控訴人の行ったパーキンエルマー社製のDSC-2は「示差走査熱量測定(DSC)」に属し、「入力補償示差走査熱量測定(入力補償DSC)」である。

<2> 両者は測定原理を異にし(甲17の図1、図6参照)、測定結果の両曲線の意義が異なるものであり、測定結果が同じとなるものとは断定できない。

<3> 甲11(新版高分子辞典)の「示差熱分析、DTA」の欄に「ピークの面積が熱量に比例するように設計製作された場合、これを定量示差熱分析(quantitative DTA)あるいは熱流束型示差走査熱量測定と呼ぶ」と説明されているが、これは定量DTAとDTAとが同じといっているのではなく、かえって定量DTAはDTAと異なり、熱量測定を行うようにした別のもので、熱流束DSCと同じであることを示している。

7.2 JISの規定からみると、次のようにいえる。

<1> JIS規格「JIS・K7121:プラスチックの転移温度測定方法」(甲9)には、ベースラインの調整及びピーク面積の求め方の規定はない。

<2> 一方、JIS規格「JIS・K7122:プラスチックの転移熱測定方法」(甲10)は、転移熱測定について、5.1(1)でDSC装置のみを規定し、DTAを用いることは規定していない。

「8.1ベースラインの調整」及び「9.2ピーク面積の求め方」については、JIS・K7122だけに規定され、JIS・K7121には規定されていない。

<3> 両JISは、転移温度測定(甲9)と転移熱測定(甲10)を明確に区別して規定している。

JISにおいてピーク面積の求め方をDTAについて規定していないのは、DTAによって求めたピーク面積とDSCによって求めたピーク面積が一致しないことを推定させる。

8 副吸熱ピーク測定に関する控訴人主張

以上の被控訴人の主張に対し、控訴人は、DTAとDSCとの差異はわずかであって問題とするに当たらず、面積比の差は無視できるほどに小さいと主張する。

9 DTAとDSCの異同に関する判断

そこで、DTAとDSCの異同について以下に検討する。

9.1 明細書の記載

本件明細書には、次の記載がある(甲2の1、2)。

<1>「示差熱分析による主吸熱ピーク温度」、「示差熱分析による副吸熱ピーク温度」(特許請求の範囲)

<2>「本発明者等は、……示差熱分析カーブにおいて特定の温度範囲に主吸熱ピークと副吸熱ピークとを有するエチレンービニルアルコール共重合体から成る包装材料は、むしろ単一の吸熱ピークを示すエチレンービニルアルコール共重合体から成る包装材料に比してむしろ優れた耐気体透過性を示すことを見出し、本発明に到達した。」(訂1下から第11~7行)

<3>「第1図は単一融解吸熱ピークを有する本発明範囲外のエチレンービニルアルコール共重合体成形物の示差熱分析曲線であり、第2図は複数個の融解吸熱ピークを有する本発明範囲内のエチレンービニルアルコール共重合体成形物の示差熱分析曲線である。」(訂5第12~15行)

<4>「示差熱分析(DTA)カーブにおける吸熱ピーク面積は、一般に、ポリマーの結晶の融解熱量に相当するが……」(訂5第42~43行)

<5>「本発明を実施例によって具体的に説明する。本発明における示差熱分析は、理学電気株式会社(日本)製微量試料型示差熱分析装置(ミクロDTA標準型No.8025)を使用し、昇温速度10℃/minで試料量は約5mg~10mgの範囲で行った。」(訂15第17~19行)

上記の記載からみると、本件発明の特許出願に際しては、吸熱ピークの測定手段としては「示差熱分析」が意図されていたものということができる。

9.2そこで、「示差熱分析(DTA)」と「示差走査熱量測定(DSC)」について説明されている文献を検討する。

<1> 新版高分子辞典(甲11の1~3)

「示差熱分析、DTA」の項

ピークの面積が熱量に比例するように設計製作された場合、これを定量示差熱分析(quantitative DTA)あるいは熱流束型示差走査熱量測定と呼ぶ。

熱量測定が可能となるから、入力補償DSCとともに、転移熱、融解熱、結晶化熱、結晶化度が測定でき(る。)

ガラス転移温度、結晶転移温度、融解温度、結晶化度及びそれらの熱量の測定並びに比熱容量測定の方法は、JISK7121、7122、7123にも採用されている。

「示差走査熱量測定、DSC」の項

得られるDSC曲線はDTA曲線と同様であり、同様の目的に応用できる。

<2> 控訴人の技術担当者山田宗機の陳述書(甲16)

DTAでは吸熱時の標準物質と試料との温度差を測定し、DSCは吸熱に見合うように加えた熱の量を測定するから、同じ結果が出る。

DSCの方が細かい変化を見られるので、現在ではDSC法による測定装置が普及している。

<3> 東京家政大学教授金綱久明の考察書(甲17)

電子技術の進歩により、入力補償DSCと、いわゆるミクロDTA、これが進歩した熱流束DSCとが開発され、微量の試料を用い、融解挙動の細部を観測でき、かつ、吸・発熱量を正確に求められるようになった。

本件明細書に記載のDTAはミクロDTAである。

(熱流束DSC)

ミクロDTAが進歩したもので、容器をセットするホルダー、熱伝導率の良い金属製の感熱体があり、ホルダーに熱電対を取り付けて、試料及び基準物質の温度差が測定できるようにするものである。

定量DTA型DSCともいわれており、定量DTAの原理に近似した原理に従っている。

(入力補償DSCと熱流束DSCの熱量の定量性)

高分子素材センターで行ったラウンドロビンテストによると、高分子物質の融解熱の測定において、入力補償DSCと熱流束DSC両機種の差は見いだされなかった。

ポリスチレンの比熱容量の測定(約70℃~130℃の温度範囲)においても差はなく、両機種とも精度の良い熱量の定量化が可能である。なお、装置の分解能と熱量の定量性は別個の問題である。

(ミクロDTAによる熱量測定の定量性)

本件明細書に記載のある測定結果はミクロDTAによるものである。これは炉の構造が熱流束DSCの感熱体と異なっているなどしている。

しかし、そこでは、マクロDTAと異なり、試料及び基準物質のそれぞれの容器下部表面の温度差の測定が行われているから、熱量の定量が可能な主要件は備えている。ただし、昇温した温度により、試料及び基準物質回りの種々の条件が異なってくる可能性がある。

定量性を確認するための実験の結果は、次のとおりである。

ミクロDTA、DSCは、

1)転移熱のピーク面積の測定においては、試料の熱伝導率の影響を受けない。

2)転移熱のピーク面積の測定においては、試料が25mg程度までは試料量の変化の影響を受けない。

3)200℃ぐらいまでは、ミクロDTAで転移熱を測定してもその感度はほとんど変わらず、DSCでは400℃程度まで感度が変わらない。

ここで感度とは、「測定された転移ピークの積分値/試料の文献による転移熱」をいう。

以上から、ミクロDTAを用いても、特定の測定条件範囲ならばDSCと同様に転移熱の定量的測定が可能であることが結論付けられる。

本件発明においては、得られた一つのDTA曲線からRs(主吸熱ピークに対する副吸熱ピークの面積比)を求めているので、主吸熱ピーク温度約180℃と副吸熱ピーク温度約100℃での感度が同じである必要があるが、前記実験で200℃程度までのDTAの感度は余り変化がないから、100℃と180℃とで感度に差はないといえる。変動があっても2~3%と考えられる。このことはDSCを用いても同様と考えられる。

<4> 「熱・温度測定と熱分析」(熱測定研究会編集。甲21の1~3)

DTAとDSCで高分子材料の融解熱を測定したことと、解析はDSCの1機種のみについて行ったことが記載されている。

<5> 「高分子データハンドブック」(高分子学会編。甲23の1~3)

ナイロン6のガラス転移温度を種々の測定法(DTAを含む)で求めたことが記載されている。

<6> 控訴人の研究所員作成の報告書(甲40)

TG-DTAはミクロDTA構造を測温ユニットとして装備しているが、TG-DTA装置では、230℃までは温度軸に対する感度値がほぼ一定なことが知られている。DSCは熱量計として測定温度全域でピーク面積が熱量に対応しており、同一サーモグラム内の2つのピークの面積の比をとった場合、その比の精度も高い。

TG-DTAと同じ測熱部を有するミクロDTA装置からのRs値は、DSC装置からのRs値と差異が生じないと推察される。すなわち、DTA定量性は、DSCとの比感度で1.01~1.03となっている。

<7> 高分子材料便覧(乙6)

「示差熱分析」の項

DTAにおいて、ピーク面積をAとすると、融解熱△Hは△H=KAで示される。Kは容器への熱伝達率である。ここでは、試料及び基準物質の容器内で温度は均一と仮定している。実際には特に高分子の場合にはこの過程が満たされない場合が多い。この効果を緩和するため装置の感度を上げ、少量の試料で測定するミクロ示差熱分析装置が一般に使われるようになった。この場合にはKを△H既知の物質によって校正しておけば、示差熱分析曲線のピーク面積Aから未知の転移熱△Hが求められる。

「示差走査熱量測定」の項

DTAで熱量を測定する方法はいくつかの難点があり、定量的とはいえない。その代わりに考えられた方法がDSCである。

9.3 以上の評価

以上の文献、とりわけ、控訴人の研究所員作成の報告書(甲40)並びに東京家政大学教授金綱久明の考察書(甲17)の記載によると、230℃程度まではDTAはDSCと同程度の定量性を有していることが認められ、反面において、本件で問題となっている200℃程度以下の温度範囲でDTAが定量性がないことを明らかにする証拠はない。高分子材料便覧(乙6)には、「DTAで熱量を測定する方法はいくつかの点で難点があり定量的とはいえない」旨の記載があるが、他面において「△H既知の物質によって校正しておけば、示差熱分析曲線のピーク面積から転移熱△Hが求められる」旨の記載もあり、高分子材料便覧(乙6)の記載をもってしても、DTAによる定量測定が不可能とすることはできないというべきである。

そうすると、DTA(示差熱分析)は、本件発明の熱分析温度範囲において定量性があるものと認められる。

翻ってみるに、本件発明は「副吸熱ピークは、エチレンービニルアルコール共重合体中に存在する主としてホモポリエチレン或いはエチレンに富むセグメントから成る重合体鎖の融解に伴なうこと」及び「示差熱分析(DTA)カーブにおける吸熱ピークの面積は、一般にポリマーの結晶の融解熱量に相当すること」(訂5第36~43行)をもって、その技術思想の基礎としているし、同一の試料を測定しても、使用する装置により面積比が異なり、再現性がなく、DTAが定量的な測定ができないのならば、結晶化度の下限値を示す面積比の数値限定の意味がなくなってしまうのであるから、本件発明において面積比の数値限定を発明の必須構成要件としたことは、DTA測定が状態変化の吸熱量を定量的に測定できることを前提としたものといわざるを得ない。

定量性、再現性がないことを前提としては数値限定付きで特許登録されることはなく、本件発明については、出願人はDTAに定量性があることを前提として発明を説明し、これに対して、特許が付与されたものと認められるのであり、本件発明においては、DTAピーク面積が状態変化に伴う吸収熱量に対応することを前提として特許登録されたものというべきである。本件発明は物の発明であり、物の構成として吸熱ピークの面積比(吸熱量比)を特定していることになる。

したがって、被告製品が本件発明の面積比の構成を充足するか否かを判断するには、吸熱量が定量的に測定されればよいのであり、その定量手段としてDTAとDSCとがあるということであって、吸熱量比を決定するための手段としてDSCによることは可能であるというべきである。

10 実験結果の対比

10.1 控訴人は、被告製品の現物(空ボトル)について甲35~38の試験結果を提出し、被告製品のエチレンービニルアルコール共重合体(EVOH)には副吸熱ピークが存在することを立証しようとしたのに対し、被控訴人は、控訴人実施の試験がシリカゲル乾燥であること、真空乾燥であっても真空度が低いことなどを主張し、被告製品のEVOHには副吸熱ピークが見られないとして提出した乙8(財団法人高分子素材センター作成の試験報告書)の試験結果からみても、被告製品が本件発明の技術的範囲に属することは立証されていない旨主張した。

そこで控訴人が提出したのが甲40(控訴人の研究所員作成の報告書)であり、控訴人は、甲40によれば、乙8の試験結果は妥当なものではないことが裏付けられるとし、これと甲35~38をもって、被告製品のEVOHには副吸熱ピークが見られることが明らかであるとした。

控訴人提出の書証に係る試験は、被控訴人が妥当な乾燥条件の下に試験したと主張しそこでは副吸熱ピークは見られないとする乙8におけるのとほぼ同一の乾燥条件で行われているものということができるが(後記説示を参照)、被控訴人は甲40の試験結果に触れて、「示差熱分析において、副吸熱ピークの有無及びその面積を求める場合には、試料の乾燥のみならず、試料の操作時間、測定時における特別の条件が必要であり、そうでないとチャート上に擬似副吸熱ピーク(試料の加熱に伴い試料中の水分蒸発して熱を奪い、チャート上に水の沸点である100℃付近に現れる副吸熱ピーク)が現れ、示差熱分析が無意味なものとなる」旨主張し、甲35~38の試験もこの条件を備えておらず、その試料は擬似副吸熱ピークを発生する自由水を含む可能性が否定できない旨主張した。

そこで判断されなければならないのは、乙8の乾燥条件、測定条件が、被控訴人の製品が本件発明の構成要件を充足するか否かの確認をするのに妥当か否かの点であり、その前提として、乙8の試験に信憑性があるかどうかが検討されなければならない。

10.2 乙8における測定結果について、当事者双方は甲40等との対比において次のように主張する。

10.2.1 控訴人の主張

甲40によると、Rsが2.5以上の副吸熱ピークが観測されている。これに対して乙8のチャートでは副吸熱ピークは観測されていないが、乙8のチャートは一度十分に熱処理されたものについてのデータであり、以下のとおり信憑性が疑わしい。

<1> 一般に、DTA、DSCではチャートに次の傾向がある。

1) 一般に、セカンドラン(原試料の再度の測定)においては、ファーストラン(原試料の最初の測定)よりも主吸熱ピークの面積が減少し、例えば甲33の1では、1st:2nd:3rd=100:92:88となっている。

2) 一般にファーストランでは吸水のためわずかな擬似ピークが現れ、その部分のカーブの曲線が滑らかに順次変化した形状にはならないが、セカンドランでは水が除かれているので滑らかになる(甲15の4、甲28の図4)。

3) 一般にEVOHのTg(ガラス転移温度)は、ファーストランでは40~50℃であったものが、セカンドランでは10℃以上高くなって60℃付近になる(例:甲19(40℃→60℃)、甲15の4(40~50℃→61℃)、甲28(40℃超→60℃超))

<2> 乙8については、次のようになる。

1) 主吸熱ピークの面積がファーストランとセカンドランで同じである。これは通常のファ一ストランとセカンドランが示す変化の傾向とは異なるもので、乙8の試料は一度十分に高温に加熱して冷却した試料の可能性が高い。

2) ファーストランのカーブが、主吸熱ピークの立上りに至るまでの間が極めて滑らかである。経験的にこのような傾向はセカンドランで見られるか、測定器内で予備加熱したときにしか見られない。

3) 乙8のチャートでは、60℃付近にTgのカーブの変化が現れている。試料を操作することなくファーストランを行えばこの付近にカーブの変化が生じることはなく、より十分低いところでカーブの変化があるはずである。また、乙8のTgと、被控訴人が乙8のセカンドランのチャートとして提出する乙18のチャートに見られるTgは同じであり、乙18のチャートこそが乙8のセカンドランのチャートであるというのは疑わしい。

10.2.2 被控訴人の主張

甲40の図5-2は、吸湿したことが明らかな試料についてのチャートである。この副吸熱ピークの形状はなだらかな丘状をなし、その温度幅は49℃である。したがって、副吸熱ピークが丘状をなし、その温度幅が大きい場合は、少なくとも擬似副吸熱ピークが存在することが十分推定可能である。したがって、甲35~38については、それらの測定に供された試料が結合水だけを含むものとすることはできず、擬似副吸熱ピークを発生する自由水を含む可能性は否定できない。

被控訴人は、乙8の測定条件と同じ条件での真空乾燥による実験の実施を控訴人に促したが、控訴人は同一の乾燥条件による実験を避けている。

乙8についてみるに、控訴人提出の甲19でも、ファーストランの方がセカンドランより面積が小さくなっているし、DTAチャート上で吸熱ピーク面積を求めるための始点及び終点の決め方にばらつきが多いので、DTAチャートから吸熱ピーク面積を求めることは、JISでは採用していない手段である。甲33の1の図1のDTA曲線においても、セカンドランの融解ピークが低温側から外れる温度を166.9℃としているところ、この始点はファーストランの148.2℃より低温側にあると見ることもでき、この場合はセカンドランの吸熱ピーク面積がファーストランよりも小さいとはいえなくなる。

したがって、ファーストランの主吸熱ピーク面積がセカンドランよりも大きいとする控訴人の主張は恣意的であり、乙8のチャートの主吸熱ピーク面積が乙18の主吸熱ピーク面積とほとんど差がないことをもって、乙8がファーストランのチャートでないとする控訴人の主張は誤りである。

ビニルアルコール68モル%のもののTg(ガラス転移温度)は乾燥状態では58℃付近であるが、吸湿状態では40℃に低下することは乙12から推定できる。乙8のように、Tgが60℃付近に見られることは、試料が完全に乾燥されていることを証するものであり、したがって、水分による擬似副吸熱ピークの発生がないので、主吸熱ピークの立上りに至るまでのカーブが滑らかに推移するのは当然のこととなる。

10.3 そこで、乙8の試験結果の信憑性について検討する。

控訴人は、乙8の試験結果における主吸熱ピークの面積がファーストランとセカンドランとで同じであることをもって、乙8に使用された試料は一度十分に加熱して冷却したものである可能性が高いとするが、甲19(理学電機(株)の熱分析測定結果)によれば、主吸熱ピークの面積がファーストランよりもセカンドランの方で大きい試験結果のあることが認められる。そうすると、主吸熱ピークの面積がファーストランとセカンドランで同じであることをもって、乙8の試料は一度十分に高温に加熱して冷却した試料であるとすることはできない。

控訴人は、試料を操作することなくファーストランを行えば60℃付近にTgのカーブの変化が生じることはないと主張するが、乙12(「Polymer」 Vol.22)には、ファーストランが60℃付近のものが示されており、Tgのカーブ変化が被告製品のファーストランにおいて60℃付近であっても、格別異とするには当たらないと認めるべきである。控訴人は、Tgのカーブ変化がファーストランで60℃を超える場合に、試料は100℃を超える熱処理を受けたものというべきであるとも主張するが、このことを認めるに足りる証拠はない。

他方、乙8の試験結果に見られるように、Tgがファーストランでよりもセカンドランでの方が高い場合には、ファーストラン時に水分が除去されたからであるが(乙12(前記)の記載中に、EVOHにおいては水分の吸着によりTg(ガラス転移温度)が低下するとの趣旨の部分がある)、控訴人は、「Tgのこの変化は結合水の有無によって生じるものであり、自由水の存否によるものではない。結合水は乾燥によっては除去できず、100℃を超える熱処理によってでしか除去できない。乙8に見られるようにファーストラン及びセカンドランにおいてTgがいずれも60℃を超えていることは、この試験が一度高温で熱処理されて既に結合水が除去された試料について行われたものであることを示す」旨主張する。

しかしながら、EVOH中の控訴人のいう結合水が乾燥によっては除去できないことを認めるべき証拠はないことと、乙12に見られるように水分の吸着によりTgが低下することがあることを勘案すると、水分の吸着があるからTgの低下が見られるのであり、乾燥が十分に行われて控訴人のいう結合水までが除去されればEVOHにおいてファーストランとセカンドランとでTgが共に60℃を超える値を示す可能性がない、ということはできない。したがって、ファーストランとセカンドランとでTgが共に60℃を超える値を示すことをもって、乙8の試料が一度高温での熱処理を受けたものとは直ちに認められない。

結局、乙8の試験結果の信憑性は疑わしいとする控訴人の主張は採用することができないというべきである。乙8の試験結果における測定試料が、被控訴人主張のように乾燥の十分にされたものとするならば、水分による擬似副吸熱ピークの発生がないので、主吸熱ピークの立ち上がりに至るまでのカーブが滑らかに推移するであろうし、ガラス転移点が60℃付近にあることも考えられるのであり、以上に示したところからすると、この点を疑うべき証拠はないことに帰する。

10.4 乙8と甲38等の試験の間には、乾燥条件及び測定手段(DTAかDSCか)、取扱条件の点で一応の相違点がある。

このうち、DSCとTG-DTAとの差異を考慮しなくてもよいことは、前記説示のとおりである。取扱条件についてはみるに、被控訴人は前記のように「示差熱分析において、副吸熱ピークの有無及びその面積を求める場合には、試料の乾燥のみならず、試料の操作時間、測定時における特別の条件が必要であり、そうでないとチャート上に擬似副吸熱ピークが現れ、示差熱分析が無意味なものとなる」旨主張しており、乙8では試料の取扱いにおいては水分の影響がないような条件を選んでいると考えられるが、甲38等においても取扱いに十分に注意したことを疑うべき証拠はない。また、真空度を示す0.1Torr(甲38)ないし0.5Torr(甲40)と0.6Torr(乙8)との間にも実質的な差異はないものと認められる。

そうすると、以上の点以外で甲38を始めとする甲号証と乙8との操作上の相違点として認められるのは、真空乾燥において、甲38等では真空を適用するだけなのに対し、乙8では(乾燥を促進するために)乾燥窒素ガス気流下で真空を適用する点にあるものと認められる。そして、甲35~38及び40の試験結果と乙8の試験結果におけるこの測定条件の差異により、副吸熱ピークが一方では発生し、他方では発生しないという状態が生じていることにつき、前記のように乙8の信憑性に関する控訴人主張を採用できない以上、甲35~38及び40の試験結果によっては、被告製品の示す副吸熱ピークが、水分由来のものではなく本件発明に係る高分子材料自体のものであると認めることはできず、甲40の図1、2で示される実験結果におけるTgの変化も、ファーストラン時に試料に水分が吸着していたということで説明することも可能であるといわざるを得ない。

10.5 その余の実験結果

原審で提出された熱分析試験結果は、充填物が入れられた後の試料(ボトル)を用いているので、甲35~38及び40における試験結果より以上に試料を乾燥させたものと認めることはできず、これらから、これらの試験結果によって見られた被告製品の示す副吸熱ピークが、水分由来のものではなく本件発明に係る高分子材料自体のものであるとは認められない。

他には、被告製品のEVOHに副吸熱ピークが見られることを認めるべき証拠はない。

11 結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、被告製品は本件発明の技術的範囲に属するものとは認められない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例